あいちトリエンナーレとその道中のハイライト 1

例のわたしにこびりついたわたしとしては、体力や集中力がないので、短時間にあちこち移動したり、分刻みのスケジュールを計画したりすることは日頃なかった、そんなの無理だとおもっていた。なので、名古屋の会場だけじっくり廻れればいい、くらいにおもっていた。9月1日に同行者たちと一緒に名古屋を廻って、2日はみな岡崎へ行くと言っていたのだけど、わたしはトリエンナーレ以外でも予定があったので、岡崎は無理だろうな、とハナからおもっていた。豊橋にかんしては名古屋から一時間近くかかるので(もっとも、新幹線に乗るなら別だが)、岡崎以上に行けないとおもっていた。こう書いていて、じゃあ一体なにしに行くつもりだったんだ!と旅行まえのじぶんに喝をいれたくなるのだが、それほどにフットワークの重さは深刻だったのだ。

が、1日、名古屋に到着するなり大きな荷物も置かずに向かったのは、新幹線で通り過ぎてきたばかりの豊橋だった。先に愛知入りしていた同行者が前日に豊橋をまわる予定だったのが、行ってみたら会場が休みという事態、1日に豊橋行きが持ちこされた。「中里さんはどうしますか」と選択を迫られ、いきおい、行くことにしたのだ。

豊橋滞在はなんと2時間の予定だという。先に豊橋に到着していた彼らは「ぜんぶ見てやる!」というアグレッシブさでもって、朗らかさの裏でギラついているので、もうただついていくばかり。路面電車の走る、ぜんたいにレトロでおおらかそうな未踏の地での、そういう他者のペースはたのしいし、ある意味頼もしくすらある。

 

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まず駅前大通の開発ビルの十階へ上がって石田尚志の展示から順繰り下へおりていった。なにしろそのビルがいい味を出していて、東京にもまあ古いものは残っているけど、なんというかこの古いけどばりばりの現役感(市役所の出張窓口のようなフロアもあった)というのは、東京との時間の流れかたの違いが感じられてとてもすきだし、地方都市での芸術祭をはじめて体験するわたしは、ここでやる意義、みたいなものをまっさきに肌でかんじた。5階、久門剛史の展示空間が印象てき。鏡、時計、カーテン、光と闇、風。身近な要素で構成される静謐なドラマティックさ。

タイムキーパーより「巻き」の指示が出て移動。道すがら路上観察でなにかを見つけては写真撮影で立ち止まりつつ、戦後闇市の移転先として1960年代初頭に建てられた水上ビルに到着。リオデジャネイロで哲学と視覚芸術を学び、人間と動物を「物」として等価に扱う作品を発表しているというラウラ・リマ(ブラジル)の空間〈写真〉。4階建ての居室に100羽の小鳥が放されて、わたしたちが鳥たちの家にお邪魔するのだ。止まり木が幾重にも交錯し幾何学模様を描いて、鳥たちが見るための絵画も飾られ、屋上には金網に包まれながらも開けた空がある。

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時間いっぱい、名古屋へ戻る。金山で乗り換えて栄、愛知芸術文化センターへ。閉館時間までの勝負、こちらもたしか2時間ほど、10階そして8階を駆け足でめぐる。三田村光土里の作品〈写真〉は、トイソルジャーなど日用雑貨がストーリーテラーさながらに配されたキッチュな空間に、どこか詩的でエモーショナルな文言がちりばめられて、夢中で写真を撮る女子たちで盛況なのだった。みんなやっぱりエモーショナルがすきなんだ、とおもった。

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中村裕太の《日本陶片地図》は、エドワード・モース『Japan day by day』の古書と、モースが訪れた地から採取された陶片、その地にまつわる絵葉書などが配され、書物からひもとく、そしてフィールドワークするという研究行為そのものとか、過去におかれた「点」たるその時間や時間の痕跡が、ガラスケースのなかでひそやかに息をしているようで惹かれた。東北での鹿猟や漁業を撮った田附勝の写真はもっとゆっくりじっくり見たかった。もう閉館の時刻をまわっていたのだ。それでも、じぶんひとりだったら実現しえなかった、おやつを食べるスキも与えられないこのスピード感のおかげで逆に集中できたのだなとおもって、翌日もこのいきおいで、岡崎に参戦することをアッサリ決めてしまった。

(2につづく)