あいちトリエンナーレとその道中のハイライト 2

翌2日、彼らの朝はやはり早い。八時半にコーヒーハウスかこ花車本店に集合の指令が出されていたが、いちばん距離の近い宿に滞在していたわたしがいちばん遅れて到着する。大都会名古屋、通勤の人波に逆らってたどり着いた金曜の朝、店は満席(年配の方が多かった気がする)、これがウワサの喫茶文化か!と見せつけられる。トーストにあんことクリームとジャムの乗ったスペシャルなのを全員注文する。

徒歩で名古屋駅に向かい、タイムキーパーが決めた予定通り、前日豊橋に行ったのと同じ名鉄で東岡崎へ。この日新たに合流する1名が1本あとの電車で来るということで、東岡崎駅の駅ビル、岡ビル百貨店の展示を先に見ながら待つ。この岡ビル百貨店の土着の度合いがたまらなくいい〈写真〉。

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駅ビルというものが街の発展(ランク)を指し示すものであって、かならず「スタイリッシュ」でなければならない東京では、こんな強烈な独自性を保った駅ビルは見られない。新しいものや商業てきに作られた価値に安易に迎合しない、善き門外漢てきにいうと文句なしの「すたいりっしゅ」さ(vol.1をぜひ読んでください)、などと言っても当事者側はまったく無自覚である可能性のほうが高いし、その無自覚に惹かれるぶぶんも大きいわけで、そしてその空間で展示をする側は見られることに当然自覚てきであって……というビルぜんたいからいくつもの投げかけがあるのだった。なかでも展示スペースの片隅にある「手作りの店 キッチンこも」〈写真〉の佇まいには、店なので当然見られることに自覚てきであるのだが、いつしか発信者側の自覚を超えて受信者に届く「超」自覚てき存在、ひいては無自覚への回帰を見た。ざんねんながら準備中だったので、店内のようすや、これでもかと「手作り」を推すメニューは味わえなかった。

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5人所帯となって炎天下を出発する。レンタサイクルや川下りなども利用できたのだが、路上の観察を怠らないために徒歩が強行される。なかなかの距離で途中、腹が減った、暑い、まだ歩くのかなどという不平が上がりながらも、なんだかんだ路上にあふれる無自覚てきな美や可笑しさを見いだして絵画のようにたのしむ活動に熱中〈写真〉、この日以降みな、観察・活動・その精神をひっくるめ「徒歩派」を名乗るようになる。

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最初に辿り着いたのは、戦後まもなく建てられたモダニズム建築、岡崎表屋〈写真〉。ガソリンスタンドの従業員の寮として使われていた、と現地スタッフの方から聞いた。

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ここでのインスタレーションはシュレヤス・カルレ(インド)の《帰ってきた、帰ってきた:横のドアから入って》〈写真〉。あいちトリエンナーレのテイクフリーの鑑賞の手引きから引くと、〈公共空間での芸術的実践に強い関心を持つアーティスト〉〈インドで制作したオブジェとともに、建物内の家具や雑貨を利用。周辺の地理・歴史・文化を視覚化するとともに、日印における西洋文化の受容について思考し、架空の博物館を立ち上げる〉とある。現場でもらった冊子に、ロラン・バルト『表徴の帝国』や谷崎潤一郎『陰翳礼讃』などから引用があったことも合わせみると、一見難解ではあるのだが作家の視点がじわりと伝わってきた。作品が空間に溶けていた、境目はない。作品と場所にこびりついた時間の沈殿物が、「横のドアから入って」という誘いに吸い寄せられたわたしたちにかき混ぜられて一緒くたになっていく。

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岡崎シビコに到着。ここは衣料品や日用品などのテナントの入るショッピングセンターで、いつ建ったのか、またまた味わいのある建物だ。ここではハッサン・ハーン(英国生まれ、エジプト拠点)の、スピーカーの黒々とずらり居並ぶ空間、カイロではカセットテープで広く流通しているというポピュラーミュージック「シャビ」が主役のインスタレーション《DOM-TAK-TAK-DOM-TAK》に惹かれた。全身に伝わる異国の音の振動が歓びで、その場をぐるぐる歩きまわり浴びた。

 

六供会場の石原邸は文久2年(1862年)に建てられ、戦災で全壊を免れて、当時の姿を残して復元された国の有形文化財である古民家だ。建物のディテールを見ていくだけでも楽しいだろうが、もちろんここでまたアートが織りなされる。柴田眞理子のどこか植物や生物の蠢きをおもわせる陶器は、なんと持ち上げ、運ぶことが許された。鑑賞者が展示空間づくりに参加するのだ。古瓦の積み並んだ合間に展示され、重層てきな時間の流れる小部屋がその隣に〈写真〉。土器片と、それを包んだ新聞紙を撮影した田附勝の作品では、古新聞がロッキード事件の経過を伝えていた。

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ジョアン・モデ(ブラジル)の《NET Project》の籠田公園を抜け、目標を遂行した一行はいよいよ腹ペコで喫茶丘に辿り着いたが、これが今まで見てきたアート作品がぶっ飛んでしまいそうなほど、心ざわめく店だった。壁面は全面銀色のシートで貼りめぐらされ、色とりどりのホログラムシートで繊細な模様が描かれている。ソファはまばゆいエメラルドグリーン〈写真〉。天井にはナゾの魔法陣?まで出現、それも書き順つき。ビニールでカーテン状に仕切られた空間はダクトがつながり喫煙席らしい。

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一同唖然の過剰空間で着席すると、空間とは相反するアースカラーの綿素材とおぼしき上下を着用したおばさまがお冷を置いていく。メニューはカレーとかハンバーグとか牛丼とか、昔ながらの定食屋ふうだが、どうも卵を推しすぎている。ベーコンエッグ定食などは卵三個と記載されているので、あはは多い、なんていっていたら、頼んだエッグカレーにも目玉がふたつあったし、サラダにも卵が。全員のオーダーにあらゆるかたちで卵が主張していた。また、料理が到着すると同時にお冷のグラスも追加されるので、テーブルの上は人数×2=10もの過剰なグラスのインスタレーションになる〈写真〉。ひとりで忙しくフロアをまかなっているようなので、ピッチャーをもってお冷を注ぐ手間を省くためなのだろうけど、このお冷の連投にもドギモを抜かれた。

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極めつけは、丘シール。ひとり1枚、「丘」のレトロな字体が切り抜かれたホログラムのシールをもらった〈写真〉。男は青、女は赤らしい。かっこよすぎる。OPP袋に入って一見プロの業者が作ったように見えるのだが、受取って数秒、おや?とおもったらやはり手製だった。裏をみると下書きの鉛筆の線があった。この創作意欲の源を知りたい。さらには帰りぎわ、お店のあらゆる写真をカラーコピーしたもの(ほとんどが岡崎のゆるキャラ、オカザえもんが入ったショット)を1枚選んでもって帰ることを許された。なんというサービス精神!内装の過剰、卵の過剰、お冷の過剰、サービスの過剰。喫茶 丘には4つのたのしすぎる過剰があった。

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半日ほどで岡崎を堪能して、わたしのあいちトリエンナーレめぐりは終わった。充実感で満ち満ちてはいるけど、行けなかった会場もたくさんあって、会期中にまた行けたら最高なんだけど、果たして。かけあしで見て感受してきたが、場所と作品、時間の重なり、時間の流れかた、アートとアートでないものの差異、じぶんは何をおもしろがるのか、何をアートだとおもうのか……新たな気づきやかんがえるべきことを両手いっぱいに抱えて、抱えながらやけに軽やかにいまだいすきな秋を迎えている。