土地の有名人

よく晴れた休日に、隣町まで歩いてゆく。たぶん、というか絶対電車に乗ったほうが早い。それでも市境近くに住んでいるから、一本道だから、一駅電車に乗るよりも歩いたほうが近いような気がしてしまって愚直に2、30分歩く、短絡てきな馬鹿である。その代わりといっては何だけど、道すがら目にはいるものはすべてジロジロ見ながらゆく。すっかり見飽きた景色ながらなにがしかの発見はあって、店のガラス戸を拭く床屋さんが木久扇師匠に似ていることに、今回はじめて気がついたが、理髪師といえばのあの制服(?)が黄色だったせいかもしれなかった。

隣町に行く目的というのはたいしたものではなくて、なんとなく駅前の店をぶらぶらしたり、ベンチにチューハイ片手にたむろするおじさん連を観察したり、クレープ屋を指をくわえて遠目に見たりで、短絡てきな馬鹿を装いながらほんらい案外歩くことが目的なのかもしれない、とかかんがえてみたものの、その日腹痛を起こして早々に帰ろうとなったときにも冷や汗かきかき歩いて帰ったので、やはりとんだ馬鹿意外の何ものでもないのだった。

隣町、といったのはここでは隣駅の意味だが、隣の市というと隣駅から何駅もにわたっている。わたしの住む辺りも紛れもない東京の田舎だが、そこからさらに奥へいくのだから、いけばいくほど山がどんどん近くなって長閑さが増してゆく。「広大な隣」への親しみは無意識ながらたぶん深く、日頃ほとんど用事はないのだが、こうして理由なく歩いていったり、歩ききれない奥へはわざわざ電車に乗っていって、電車を降りたらやはり無目的に歩きまわったりして、こんな細い路地裏に豆腐屋があるのかと驚いたり、写真館のショーウィンドウの色褪せた家族を眺めたりする。それを楽しいといって、奥のほうに住んでいる知人に話すと「たまに行くから楽しいんですよ。ずっと住んでみてくださいよ」と一蹴される。「遊ぶところもない、じいさんばあさんしかいない」という彼女はまだ20代であるし、もっともなことだとおもう。しかしそんな彼女は誰とでもすぐに打ち解ける根っからの明るさと楽しさ、要するに愛嬌があって、田舎の明暗のうちの「明」のほうを見事体現したような娘である。

以前我が家でハクビシン事件があったので、奥のほうではそれ以上のことがあるに違いないとおもって、「野生動物は見る?」と彼女に聞いてみると、「タヌキが多いです。よく轢かれてますよ」という。へえ、タヌキなんだね、うちはハクビシンだよ、なんてフンフン頷いていると聞き捨てならない言葉が飛び出してきた。

「つい持って帰っちゃうんですよねー、わたし。何回かやっちゃってるんですよ」

持って帰る? 何を? 何回かやってる? どういうこと?
何からどう聞き返したかおもい出せないが、ひと通りの質問を彼女に浴びせた。

「いや、だからあ、その轢かれたタヌキとか、あと猫とか。さすがに今はやらないです、道の脇に寄せるていどです。昔ですよ、昔」
「え、持って帰るってどうやって?」
「最初のときはプール帰りで、おっきいタオル持ってたんで、それでくるんで」
「……!! 」
「ほっとけないんですよー」

わたしは過去さほどそういう場面に出くわした経験はないけれど、道で轢かれた動物を見たら「うう」と胸がつまって、つまるばかりでなにもできない。数年まえ、夜中にひとり上野から根津へと歩いていて、細い脇道に黒猫が寝そべっているので嬉々として、「猫ちゃん」と声をかけて近づいていったのだがなにか様子がおかしい。動くケハイがいっさいないのだ。目を凝らすと身体の下から液体が流れていた。暗いのでそれが何いろかはわからなかった。わかりたくなかったのかもしれなかった。あのときわたしは顔を見ることもできず後じさった。「猫ちゃん、猫ちゃん」とおもいながらただ根津へ向かった。その夜はとても寝苦しかった。

「え、お母さんとかびっくりするでしょう? 娘がタヌキの死骸持って帰ってきたら」
「大丈夫です、バレてないです。バレる前に埋めてます!」
「え、庭に?」
「ハイ、子どものころからいろいろ動物飼ってたのがみんな埋まってるんで、うちの庭、骨だらけですよ、あはは!」
「……なかなかできることじゃないとおもうけど」
「うーん……なんとかしなきゃ、埋めなきゃっておもうんですよね。たぶんタタリが怖いんですよ、あはは!」

こちらはもうあははどころではない。タタリが怖いからって出来ることじゃない。なんなんだこの屈託のなさは。本人は何ともおもっていないのだ。「すごい、すごい、どういうことなんだろう」といい続けるわたしに、「そんなたいしたはなしじゃないですよ! ふつうですよ! 中里さんの捉え方がぶっ飛んでるんですよ! ははは!」という調子なのだ。「無闇に触っちゃだめだよ、保健所呼ばなきゃ」なんて至極つまらぬ忠告などもしつつ、プール帰りの制服の少女が、タオルでタヌキの亡骸をくるんで持ち帰り、家の人の見ていぬスキに庭に埋め、手を合わせるシーンを繰り返し繰り返しおもい浮かべていた。10年くらいまえ、彼女が高校生のときのはなしだという。

つい先日も、彼女は出がけに猫の轢かれ死んでいるのに出くわした、とわたしに報告してきた。もしかしたら何度か会ったことのある猫かもしれないという。彼女は近隣の動物たちによく通じているようで、帰り道とつぜん脇からニャーン!といって彼女のまえに猫が現われたりするらしいし、周辺でほかに誰も見ていないような外来生物とも出くわしている。「仕事に遅刻しちゃうしさすがに朝は何もできなくて。帰りにまだそこにいたら、なんとかしようとおもってます」といっていた。けれど、帰りにはもう猫の亡骸はなくなっていたらしい。隣の市のフシギなのか、彼女のフシギなのか、その両方なのか。わたしはわたしの町で、いっさい動物の亡骸に出くわしたりしないのだ。動物たちは手厚く葬ってくれる人間のまえにその亡骸を横たえる、いうことなのだろうか、まさか。いずれにせよ、その土地の動物たちのあいだで、彼女は筆頭有名な人間なんじゃないか、とおもえてならない。