兄妹と兄弟

年末年始だからといって、特別な休みがあるわけでもないし、大掃除などとてもできず其処此処に本が積んであるし、次号に向けて闘っている、というか孤軍奮闘四面楚歌被害妄想のまっただ中にあるし、蕎麦も予約してないし、お年玉もあげないからポチ袋買わないし。年末年始の空気はすきなんだけど、楽しみたいほうなんだけど、今年はどうしようもなく関係がない。

気晴らしに、本に栄養を吸い取られ、カサカサの指先に色を塗ってみたりする。キンキンに冷えたキーボードを叩きながら乾かしたりする。PAUL & JOEのにおいが舞う。JINS PCがいつからかずっと曇っている。

さいきんふと双子のことをおもい出す。ゴヨンとゴヨという二卵性双生児のゴリラのスリッパのこと。幼いころ、たぶん父が買ってきた。兄に買ってきたのだったとおもう。わたしはとうもろこしを持ったキツネのぬいぐるみスリッパを持っていたから。キツネはいわゆるスタンダードな硬めのスリッパのボディに、とってつけたようにキツネの顔がついているもので、幼心にそのデザインの断絶ぶりをありありとかんじていた。それにひきかえゴリラのほうは全体にふわふわと柔らかく、スリッパとゴリラが一体で、無理のないフォルムになっていた。が、しかし、ほんらいであればぬいぐるみスリッパは右も左もそっくりおなじ顔の一卵性双生児であるはずなのに、ゴヨンとゴヨはまるで似ていなかった。兄・ゴヨンは綿がギッシリ詰まって鼻高だったのに、弟・ゴヨは驚くべき鼻ペチャだった。写真でみるとさほどでもないように見えるかもしれないのが悔しいが、これがほんとうにそうなのだ。触ればいっそうそのペシャンコぶりは明白だった。綿の量が半分ほどだったのではとおもう。この差異はいまだったら検品の時点で不良品とされていただろうに。しかし兄とわたしはこの欠陥のある弟を愛おしくおもい、ゴヨのことを「鼻ペチャ、鼻ペチャ」といって可愛がった。ゴヨには「ゴッたん」という愛称まであった。凛々しい男前のゴヨンが可哀想になるほどのヒイキぶりだったとおもう。しだいに兄弟はスリッパとしての役割を免れ、スリッパの形をしたぬいぐるみとなった。ほんらいかかとで踏まれる辺りを手で掴んだり、足の入る代わりに手を入れてばふばふと歩かせた。ゴヨは「ゴヨゴヨゴヨ、ゴヨゴヨ」といって歩いた。わたしたちが夢中なのを見て、父は子供たちはゴリラが好きなんだとおもったようで、その後我が家には、大きいのやら小さいのやら、ゴリラのぬいぐるみがやたら増えた。それでも兄もわたしもいちばん好きなのはこのスリッパだった。遊びすぎて黒い毛が抜けて地の白い布が見えてきた。わたしたちは抜け毛すら可愛くて「おけけ、おけけ」といって喜んだ。ボロボロになった双子を見て、母は「汚いから捨てなさい」と何度も言ったが「やだ!」とキイキイ声で反発した。

あの双子はいつ姿を消したんだろう。思春期を迎えた兄妹が部活動に忙しくなったり、ラジオに夢中になったりして、双子をほったらかしにしたのをいいことに、機は熟したとばかりに母が捨てたんだろう。わたしは行方を聞くこともしなかった。というかきっと忘れていた。兄もそうだったとおもう。

兄がまもなく義姉とともに年越しにやって来る。来ればいやでも年の瀬らしさが増すだろう。双子のスリッパの話は特にするつもりはない。わたしひとりが覚えていればそれでいい。