「仙豆」としてのチョコレート、ザマーミロの代替物

奇しくもバレンタインデーが迫る季節だが、バレンタインデーとはいっさい関係なく、ただひたすら「自宅用」に、あまりに足繁く、まんまる、大つぶのチョコを買い漁る狂気じみた客として、そろそろ某チョコレートショップのスタッフに顔を覚えられているにちがいないわたしだ。家にある在庫がなくなるとおもうと、たいへんだと気がせいて、仕事帰りについ足が向く。破竹のいきおいでスタンプカードのスタンプが貯まる。

キラキラの包み紙は色とりどりで、色によって味がちがう。ぜんぶの味は制覇していないけど、だんだんじぶんの好みがわかってきたので偏った買い方をする。けれどほんとうは全色そろえてきれいなカッティングのガラスの器にでも盛って、相互に反射させていっそうキラキラキラキラしたのを、両の頬杖をついてじっと眺めていたい。眺めるのに飽きたらぜんぶの紙をむいて、器のなかでゴロゴロ揺すって、ロシアンルーレットのようにひとつぶ取って、浮かれた舌でなんの味かを言い当てたい。

年が明けてから夜型人間が朝型人間として生まれかわり、いよいよ禁欲てきな次号制作のただなかにあって、このただならぬ美味さのちょっといいチョコレートは、わたしにとって「仙豆」のようなものであり、ひとつぶでかーっと目が見開かれ、心に脳に栄養がゆきわたる心地がして、やる気が漲ってくる。

ふとおもいだした過去のとある職場、就労時間と給与のバランスが明らかに違法であり、心身ともに損なわれた職場でのはなし。ある日、取引先が次々やってくるというので近所の老舗洋菓子店の高級チョコレートがたくさん用意してあった。自動てきにお茶くみ係と化したわたしは、日頃の腹いせに、紅茶を淹れながらその客用チョコレートを隠れてバクバク食べた。客にばかりいい顔しやがって、身内に還元しろ、ばかばか、バクバク、といったぐあいに。一個何百円かしたとおもう。ザマーミロだ。口に放り込めばすぐに溶け、茶を出しに行くころには跡かたもなく消えているし、どの客が何個食べたなんて忙しくて誰も気にしないから、ぜんぜんバレなかった。

いまもむかしもチョコレートになぐさめられ、励まされ、満たされることの大きさは計りしれない。