近況、すなわち予告

春はいつも慌ただしくなにものかに急かされて、わたしが走っていたのか四月が走っていたのか毎年わからないまま遮二無二過ぎてゆく。そのスピードにさらわれればいいものを、閉塞はもったりとした重さを増して存在を保ち、残る。これを俗に五月病というのだろうけど、そんな物わかりのいい言葉でくくられたくないし、止まってなどいられない五月だ。

昨年夏から取り組み続けた『善き門外漢』vol.3の納品もようやく落ちついたところではある。が、もっと、利休とホッファーに興味を持ってみたらおもしろいよ、とか、アウトサイダー往復書簡読んでみて、とか声高に宣伝したい、売りたい、というおもいはあってしかし、それに反してもつれる手足、停滞するアタマと心。手も足も二本ずつならば、脳ミソはひとつだし、瑣末なことに乱される心が邪魔だし、千手観音みたいに数多の手で衆生を救うようなヌカリなさは到底そなえておらず、朝から淀んだ顔でレッドブルを飲み職場で笑われているのが現状、見たい展示も見たい映画もつかまえられずことごとく過ぎ去ってゆく。

というのも、また新たに催し物の準備にどっぷり浸かっている日常なのだ。

昨年、一昨年とJuly Books/七月書房で善き門外漢のフェアーをやってきたが、そのJulyさんも下北沢のお店を昨年閉められたので、今年はフェアーのようなものはやらないだろうなとおもっていた。が、最新号vol.3を出したタイミングで声をかけてくれたのが国立にある ごはんと雑貨 mokuji さんだ。こちらは2015年末にオープンの、お肉を使わないのに心も身体も満たされる魅惑のお料理(写真はモクジ店主大月さんの作るわたしの大好物のカレー)と、古いものに新しいもの、雑貨や玩具、作家ものやオリジナル商品など(写真はモクジ店主、元デザイナーでもある上郷さんのオリジナル雑貨)が同居するお店だ。

 

 

ナチュラル、やさしい、ホッとする……等々、このお店の印象を形容する言葉はすぐにいくつも挙がるとおもうし、なにしろそれは個々の抱く印象なのだから、正しいとか正しくないとかいうことでもない。ただ、このモクジ店主(二名)にはそこに収まりきらないものがあって、興味や知識がさまざまなベクトルを向いていて、いつも話はおもわぬ方向に派生してゆき、ためになることもくだらないことも教えてもらって「へえー!」とおもうし、お店のブランドイメージを超えていきたいというもどかしさめいた正とも負ともつかないエネルギーを持て余しているとかんじる。だからこそ、オープンしてすぐ『善き門外漢』の取扱いを決めてもらったときからそうだけれど、わたしのような一見ぜんぜん違ったことをやっている者をおもしろがってくれて、共鳴してくれて声をかけてくれたのだ。

だったら、ここでやる意味の強いもののほうがいい、『善き門外漢』のフェアというよりも相互に作りあげてゆけるような催しを……と考えて、「読むこと(と書くこと)」と「食べること(と料理すること)」を織りなしてみせよう、ということになった。

「読むこと」と「食べること」はどちらも「生きること」だなあとおもう。読まなくても死なないけど食べなかったら死ぬじゃないか、ぜんぜん違うじゃないか、と言われたら間違いなくそのとおりでグウの音も出ない。けれど、じぶんにとっては読んでる世界と読んでない世界は全く違って、読まないほうが幸せでいられたかもとおもうぶぶんもあるのだけれど、幸せ(って一体なんなんだ?)を手放してでも読む人生を選んできてよかったとも言えるので、言いたいので、ここで「読むこと」と「食べること」を並べてみて、ひっくるめて「生」として噛みしめ味わってもらいたいとおもった。

では具体てきにどんな催しなのかというのを少しだけ。まず本を作っている。三つの食材をモチーフにまるで「読み味」の異なる三編の作品を書いた。二編は小説で一編は随筆だ。そしてその食材を使ったモクジ店主オリジナルのレシピをも収録、フェア期間中は限定メニューとして提供もされ、読んで食べて味わってもらうのだ。この本は手製本で、けっこう凝った作りになり、その造本にちなんだところからフェアの広がりも予定されているのだけれど、フェア開催は約一ヶ月後のスタートになるので、そこを含めフェアの全貌は徐々に明らかにしてゆこうとおもう。

まだまだ準備の初期段階には違いないので、ちょっと糖質を制限したりして、コンディションを整えて、気もちを高めて精進します。

◎『善き門外漢』を熱く紹介してくれているmokujiのブログがすばらしいのでぜひ読んでほしいです!→こちら