江の島 海の世界とファンシー土産物

夏嫌い、秋になると急に活動てきになる傾向があって、スキを見てあちこち出かけている昨今、先日は母の誕生日にどこか連れてってあげるなんて言って、そういえば鎌倉はわりあい行くのに江の島に行ったことがないということで、フットワーク重い母娘共々、気負い込んで朝早くから江の島へ行ってきた。

まず開館の9時にすべり込んだのが新江ノ島水族館。水族館というものに縁のないわたし、入ってすぐの相模湾の水槽でもう度肝を抜かれてしまった。この水槽がまあ大きくて、順路を辿って歩くうちに上から見たり底から見たり色んな角度で見ることが出来るようになっている。テレビでしか見たことのない世界、きらきらマイワシの集団演技、平たいエイの穴ぼこのような目と口、口をあいて寛ぐウツボ、名前は知らないけどデコの角張った銀いろの魚の泳ぎの速さ。そこから先はまた深海の世界、クラゲゾーン、ペンギンやゴマフアザラシ、イルカとアシカのショー、ウミガメのプールなど、ふだん道端で出会いようのない生き物を道々見せつけられる。海というものがあるのは知っているがしかし、水族館の裏の砂浜に集うサーファーらと対極にあって、海を見るだけでもビックリ圧倒されるじぶんであって、さらに海のなかの世界といったら潜ってみないと見えないもので、そんな世界が再現されてこうして眼前で見るということはいかにも筆舌に尽くし難いものだった。こんなフシギな生き物が存在すること、人知れず海のなかで絶え間なく泳ぎ続けていることがうまく飲み込めないのだが、ただファンタスティックで、それはたぶん「世界は地上だけではないんだ」と気づかされて気もちがゆったりと広がっていく、というようなことだったかもしれない。

 

 

そうして魚に魅了されたわたしは、普段魚はあまり食べないのに、特に生魚は苦手でほとんど口にすることがないのに、江の島名物生しらす丼を食べてやる、という気もちになっていた。かのさかなクンだって魚をあいするのと同時に魚を食べることもまたあいしている。一見矛盾しているようで、なんだか自動てきにそういうことになるようだ。食べられることもまた魚のすばらしさ。天気予報のお天気カメラでよく見る景色、島に渡る一本道をゆき、鳥居の外側をウロウロ探してはじめて生しらすを味わう。苦手の生臭さはいっさいなく、口に入れると溶けてしまってワケのわからぬうちに形のない旨味が舌に染み入る。過去、小樽へ行って魚介を一切食べなかったという話をして、おまえは馬鹿かとたびたび人に罵られたものだったが、やはりここへ来て魚を食べてよかった。母も喜んでいたからそれはもうよかった。

 

さて、有名な青銅の鳥居をくぐるかくぐらないかのあたりでわたしの足は止まった。土産物屋だ。観光地の土産物屋ほど特異な場所はない。これほど土着が強く、トレンドと遠い場所はない。そのことがうれしくてたまらない。もちろん土産物にもトレンドの波はあったりして、競争やアップデートの激しいところもあるが(たとえば、京都とか?)、江の島という小さな島にそれは無縁のように見える。貝、貝、貝、貝殻が並ぶ。色とりどりでウソのように美しいけど、天然色だと書いてある。美しいのにどこか野暮ったくてキッチュで、それは土着ぶりに加えて「この貝を買っていったいどうするというのだ」というおよそ実用性のない手持ち無沙汰な感覚によるものかもとおもったりする。しかしそれのどこが悪い? 土産物が実用てきでスマートだったらいったいなんの情緒があるのだろう? そんなものは東京のど真ん中だけでじゅうぶんだ! とかいうことをその場でかんがえたはずもなく、ただもう目のまえの貝に夢中だった。米粒のような貝から、両手で抱えるような貝、貝のアクセサリー、貝の照明、貝の皿、貝のオーナメント(?)、謎の貝細工。悩みに悩んできれいな小箱に入った貝の詰め合わせを購入。「浜辺の貝拾い」と添えられた言葉のポエジー。

 

店内は貝だけではない。なつかしの星の砂。先日の身辺整理でもどこで買ったか部屋から出て来てハッとした星の砂。幼いころは星の砂とはいったいなんなのかなんて考えもしなかったが、ただの砂ではなく浜に堆積する有孔虫の殻、らしい。生き物の殻ということは貝殻とおなじことだ、神秘だ。それが風流にも星型をしているからしだいに瓶に詰められ土産物になったのだろう。デラックスきわまりない、小瓶の7つ入ったハンドバッグを購入。バッグのフォルム、チェーンのカラー、「Swing Hand Made Craft」と謎の文言の書かれたハートシールがいとしい。

 

見つけた瞬間迷いなく購入を決め、ショーケースから出してくれとお店のひとを呼んだパールなラッコ。ベージュの身体にグレーの貝、たまらない色と質感。さいきん気づいたけれど、ラッコのことがちょっとすきみたい。本物のラッコは見たことがない。

 

極めつけはフグ。本物のフグで作ったフグのオーナメント。本物なのでお腹の細かいトゲトゲとか口のトンガリ具合に迫力がある。どこかしら鳥っぽい。トボケた顔して帽子でお洒落して問答無用でかわいい。

 

なにを隠そうすべてがファンシー。ファンシーど真ん中世代が子ども時代に夢中になってしかし、思春期になり格好つけて背を向けたファンシーに「ごめんね、ほんとうはすき」と謝るように、いまいい大人になってファンシーを買い漁る、みたいなこと。世界は格好いいことばかりじゃぜんぜんない、しかめつらで向き合わないと読み解けないような難しいことばかりじゃない、土着もファンシーもなくなってしまっては面白くない、困る、少なくともわたしやわたしの周囲の同世代の友人らにとって。

なんていう理解されがたかろう情熱で、江の島の入り口でこうして長らく足が止まってしまった結果、その先江島神社、シーキャンドル(展望灯台)、稚児ヶ淵、岩屋(洞窟)と、アップダウンの激しい道のりを大急ぎで往復し、地元で予約していた母の誕生日ケーキをとりに行くのも閉店時間ぎりぎり、ヒヤヒヤに晒され続けるはめになるというオチがつきました。