10月が終わってしまう

昼間はむしむし暑かったのが宵、空気がひんやり霧が出てきて、街灯が等間隔にボヤンと滲んで、家路の一直線がなんだかあの世行きの様相だなとおもっていたら、ポツンと雨つぶが落ちてきた。家に着くと、台所がなくなっていた。そんなふうに家のリフォームがはじまったのが9月の終わり。

10月は工事による非日常が続いた。台所がない時期は卓上コンロで簡単な調理だけして、食器は風呂で洗う。今度風呂がなくなったら毎夜風呂屋に通い、のぼせやすいのに調子にのって頭痛にさいなまれたり。洗面所がなくなれば、朝の早い職人さんの出勤より寝坊してしまうともう新設の台所にも入れないので庭の水道で洗顔、歯磨き。ハウスダストアレルギーのわたしは、ハウスレベルをはるかに超えたダストに鼻水が止まらない。そして工事がひととおり終わったら終わったで、台所の膨大な食器、調理器具、洗面所の化粧品類、洗剤類を運び入れる作業に休日が丸つぶれ。

そんななかでも次号準備の資料読みは続き、というか資料読みの作業が拡大、膨張してきてちょっと収拾がつかない。読むべき本を増やしすぎているじぶんがいけない。キリがない。人文書とか自伝てきなものばかり読んでいるので、文学の「文の芸」の成分が恋しくなったり。それで気分転換、というわけではないのだけど、悶々としたアタマに刺激を注入すべく、東京都庭園美術館の「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス―さざめく亡霊たち」からはじまり、気づけばほぼ毎週末なんらかの展示を見に行っていたアートづけの1ヶ月。そこで得られる、言葉で形容できないもの。たとえ遠くてもそこに出向いていかなければ体感できないというアートの特色が、ドーナツ屋でも、電車内でも、自室でも、風呂場でも、布団のなかでもできる読書との好対照をなしていた。

ひと月のあいだにずいぶん冷え込んできた。ついに昨日、人をだめにする装置コタツがリビングに登場した。工事、資料読み、アート、そして衝動てきに一袋あけてしまうポテトチップのような脱線にたゆたって、極彩色の渦を頭に心に描いているのか、逆に渦に飲まれているのか。コックリ、モッタリとした10月が今日、終わってしまう。