墓場、プログレ

原稿用紙50枚の文章を読んでもらって、ある人に「プログレ」と言われたのだが、その人はその時疲労困憊満身創痍で「プ、プログレ」とだけ言うのが精いっぱいで、詳細な説明を求めることができなかったので、頭上に「?」が浮かんで今夜は眠れないかもしれない、とおもいながらも別れ、しかし10分ほど歩いたらなんとなく言いたいことがわかったような気はしていた。と言ってもプログレッシヴ・ロックの何たるかにそこまでピンとくるわけでもなくて、あくまで雰囲気だけで、それでも文章が音楽に例えられたことは何やら嬉しく、あと中学生の時使った『PROGRESS IN ENGLISH』という大好きだった教科書のことをおもい出し、その教科書はTom Greenというトマトのヘタみたいな髪型の目のグリグリした少年が全篇にわたって主役級で、Cultural FestivalでESSの一員であるTomが(準主役級?のMaryだったかもしれない)あれこれ準備している話とか、ESSとはEnglish Speaking Societyの略だった、とかいったことが走馬灯のように駆け巡り、こころの内でEnglish Speaking Societyを連呼する帰り道だった。ともかくもprogressiveとは進歩てき、の意味なのだから、とりあえずは好意てきに受け取っておいて、詳細は次回聞いてみようとおもった。

そのちょうど一週間後、父の月命日に1日遅れて墓参りに出かけた。そもそも父の命日自体が嘘、というか、公式にはそういうことになっているのだが、父の死んだのは土曜の夜で、土曜だったからかたまたまローテーションでそうだったのか知らないが主治医が不在で、日付を跨ぐまえに父は死んだのだが、それを認定する見知らぬ医師が自分の持ち場からやって来るのに時間がかかったので、認定されたのが日曜になったのだ。なので本当のところでは私は月命日に2日遅れていったことになる。今でこそこんなへりくつを書き立てたりしているが、父が死んでしばらくは土曜の夜が怖くて怖くてならなかった、ということを久しぶりにおもい出した。プログレ、と言われたのも土曜の夜である。

墓地の入り口にクルマをつけて降り、水汲み場へ向かおうとしたのだが、クルマの前方の舗装路に、今までの人生振り返ってみてもちょっと見たためしのない、松ぼっくりのような、つまり茶色の鎧を着たような顔面凶器ならぬ全身凶器の、攻撃てきな容貌のイモ◯シがなかなかの速度で歩いていた。大きさもまたなかなかだった。これはもう絶対に私はこの道を通ることが出来ません、と感情を殺して母に宣言し、もしかしたらあちらのお地蔵さんの裏を回れば裏通りから父の墓に辿り着けるかもしれない、とだけ言い残して足早に去った。お地蔵さんの裏へ回って見ると、鉄扉がガッチリと閉まっており、胸くらいの高さだから乗り越えられないことはないのだが、近所の人に見られても怪しまれるし服も汚れそうだったので、泣く泣くクルマのところへ引き返してきたが、すでに母の姿はない。無事イモ◯シを越えて行ったのだ。そもそも私がこれほどにイモ◯シを恐れ、完全な表記すら出来ないほどであるのは他でもないこの母による「イモ◯シとはげに恐ろしいものだ」という教育を受けて育ったからであって、父亡きあと自ら庭のイモ◯シと闘わなければならなくなった母の逞しさをしみじみと感じた、のだが、右方向数メートル先にかの松ぼっくりの模様のアレがくるんとうずくまっているのが見え、「これは母のしわざに違いない」と確信し、「しみじみ」は戦慄に変わった。
視界に入る以上こんなところにはいられないので、寺の表門の方からぐるりと長距離を歩いて裏へ回ろうと通りへ出た。非常に暑い日ではあったが、決してそれだけのせいではない汗が先ほどから背中を伝っていた。呼吸も荒く歩道を進んで行くとまた数メートル先にただならぬものを見つけ、ギョッと立ち止まり注視した。通りのクルマのドライバーから、あの人はいったいなぜあんな緊迫した形相で立ち止まっているのだ、というふうな視線が注がれたが気にしている場合ではない。ただならぬものの正体は、正確なところはわからない。けれどもゴロンとした肉塊、概ね鳥の死骸か何かだったとおもう。ああ、この道も通れない。なんでこんな目に遭わなければならないのか!
クルマのところまで再度引き返し、松ぼっくりのアレは見ないようにして、またお地蔵さん方向へ逃れお地蔵さんを通り越して、寺の本堂を突っ切り、仕事中の庭師を突っ切り、念願の裏通りに出た。父の墓前に到着した時には墓掃除はほとんど終わっていた。母は「ほうきで掃いてやったのよ!いっちょまえにすごく怒ってた」とか得意顔だったが、話を聞くだけでこちらは卒倒しそうだ。「こんな恐ろしい土地に骨を埋められ父もつくづく気の毒だ」と言ったが、母は「お父さんはイモ◯シは平気よ、蚊は嫌いだったけどね。キンカン持って来てあげなきゃ」などと笑う。父は毎年春から秋までキンカンを手放さなかったが、死がすぐそこへやって来たとき、どこからかCDを買い込んできて、小さなラジカセまで買ってきて、キンカン同様傍らに置いて真剣に聴いていた。幼い頃父親におぶわれながら聴いたチャンバラの歌だとか、とんでもなく古いものばかりだったのだが、その中にピンクフロイドが混じって異彩を放っていたのを急におもい出した。詳しく聞かなかったけれど、年齢てきにまあ青春だったのだろうなあ、とおもったのだった。詳しく聞いておけばよかった。ピンクフロイドといったらプログレ、プログレの代表格じゃないか。巡り巡って辿り着いた墓前で線香を手向けながらハッとして、父さん、私プログレと言われました、とつい墓場と言えばの鬼太郎みたいな口調で報告してしまった。精進は続く。