再会、訪問

1月、静岡県牧之原市の友人宅にお世話になった。前回書いたところの、熱海からの旅の流れだった。友人は学生時代の級友で、昨年夏にとつぜん「会いたい!」と連絡が来た。最後に会ってからじつに10年ぶりのことだった。「会いたい!」にはごく簡潔な理由が添えてあって、とある事情で静岡の実家に帰るから、その前に東京で会いたい、ということだったがほんとうに簡潔だ。何故10年も会わぬわたしなのか、他に会うべき友はたくさん居るだろうに、と訝しみながら迎えた7月のある日、井の頭公園のペパカフェ・フォレストでシンハーを飲みタイ料理をつつきながら聞いてみると、なんのことはない、わたしが石神井公園に住んでいると人づてに聞き、当時練馬区に住んでいた彼女は区内だからすぐに会えるとおもったらしい。石神井公園のアパートを引き払い実家に戻ってすでに4年が経とうというところだった、なんだか可笑しかった。

彼女が静岡出身だということは学生時代から知っていた。夏休み明けに静岡銘菓「こっこ」をくれたことも覚えていた。しかし静岡も広いので、あらためて静岡のどこかと聞いてみると、牧之原だという。牧之原台地はお茶の産地だと、小学校か中学校かで習った。山と海に挟まれている、とかなんとかウロ覚えだったが、聞けばじっさい家は海の目のまえだというのでたまげた。海に縁遠いわたしは、海の目のまえで育った同級生がいるなんて考えたこともなかったのだが、彼女としては逆に当たり前すぎて、そんなことはわざわざ言うほどのことでもないのだが、といったふうだった。感嘆するわたしを面白く感じたのか、帰り際「ぜひ遊びに来て!」と言った。

半年後にそれが叶い、彼女は静岡まで迎えに来てくれた。おでん屋のひしめく青葉横町の「おばちゃん」という店に入り、店内もまたひしめいていて、ギュウギュウ詰めになって静岡おでんと三ヶ日みかんハイボールを堪能した。それから彼女の家に向うべく、路線バスに乗り込んだのだが、わたしの知っている路線バスとはまるで違って、見た目は高速バスとか観光バスとかのあのかんじで、じっさい途中からシートベルト着用が義務づけられて高速に乗った。乗客の多くはこの「高速に乗る路線バス」を通勤通学のために利用しているようだった。高速をおりてコンビニエンスストアやファミリーレストランや郊外型のお店が脇をかためる広い通りを行き、終点の営業所に辿り着いたのは、彼女の予告通り静岡駅出発からちょうど1時間後だった。営業所では彼女のお父さんが車で待ってくれていた。道はまっ暗闇で、もうすぐそこが海なのですよ、と言われ嬉々として窓に向かっていたのだが、これが海ですか?と尋ねると、いやあこれは川ですよ、と期待するあまりの早とちりで、あそこに光が見えているのは、あれはシラスウナギを捕っているのですよ、と言われてようやく目印が与えられホッとしたのだが、船の電球(?)の光ばかりで海の姿はわからなかった。バスの中で彼女が、「夜歩くなら、反射するチョッキを着ないと轢かれちゃうよ」と言っていたのを笑ったが、ほんとうに轢かれてしまうほどだとわかった。

朝、すべてが見えるようになった。昨夜はここの道路からこういう角度で車庫に入ってきたのだ、とか、その道路の向こうは海なのだ、とか。海だけれども堤防のように一段高く遊歩道が通っているので海そのものは見えない。お母さんの用意してくれた朝食の後、彼女の家の裏の斜面を上って海を見下ろすことにした。彼女は前日からしきりに、「裏の家に猫がいるんだよ!トトロみたいなんだよ!」と言っていた、朝食のときも言っていた。だから会えるかしらと楽しみに上っていったら、ちょうど裏のおじさんがいて、「おじさん!猫は?」と彼女が声をかけた。おじさんはお墓の前で「そこらへんにいるよ?」と言った。

「東京から友だち来たの!」
「ああー、東京から? まあ」
「こんにちは」
「こんにちは」
「あ、いた! ほら、トトロみたいでしょ!」

猫はチャコールグレーでお腹が白くて、ほんとうに大トトロみたいで可愛かった。彼女が名前を呼び、わたしがそっと近づくとザッと冬枯れしたススキだかなにかの中に消えた。よくもまあ、昨夜のおでん屋よりもギュウギュウに草の繁る、それも硬そうな草の中に入ったりできるものだ、さすが猫、と感心しながら反対側にまわって目を凝らすと、ほのかにトトロいろの毛が見え、草のわずかな隙間からこちらを窺っているのがわかった。出てきてくれそうもないので諦めて土手を上る。おじさんはお墓に祈っていた。きっと日課なのだ。

上りきって、海が現われた、パノラマで現われた。ほんとうにすぐそこの真下だった。内陸のわたしにとって、陸地の切れるところはなにか奇跡のようにおもえる。海は果てしない。彼女は淡々と「今日はやけに船が多いな、何の船だ」と呟いた、そしておもいだしたように「そうだ、富士山も見えるんだけど、ええと、あ、あれだ!」と指差した先、左手の木々の隙間、おもいのほか大きく、くっきりとした富士が見えた。

「うわ!うわ!うわ!」

木々が遮らぬ地点を探して、二人小走りに右往左往してひらけた場所に出た。目の前の海と雲ひとつかからぬ富士、この惜しげもない景色が、家の裏の土手を上れば見えてしまうとは。


彼女はすっかりこの地の顔になっていた。なっていた、というか戻っていた、というのが正しいのだろうけれど、わたしは東京での顔しか知らなかった。学生の頃とも、半年まえ、井の頭公園で会った夜とも、まるで違う顔をしていた。それは前日静岡へ迎えに来てくれたとき、葵タワー1階の戸田書店の脇のベンチで再会したときからハッキリと、心のうちでアッ!と声をあげるほどに、気づいてはいたのだが。