世界の逆転

コーヒーショップで本を読む、涼しさと適度な緊張がある。緊張というのは他者の視線によるものであって、暑いからと言ってあられもない姿で寝転がって背中を掻いたり出来ない、というような意味なのだが、そうした緊張を欲し、愛し、わざわざコーヒーショップに本を読みに行くのに、連続して緊張感のない人が横に座る。ポリポリ音を立てて持参のプリッツを食べる女子高生、こっそりとバッグの中で持参のパンを千切って食べるおばさん、堂々とキャップを開けるたびの破裂音を響かせて持参のコーラを飲む父娘。揃いも揃ってみんな持参。そんなに節約をしたいのか、それでどれだけ得した気になるというのか。気になって仕方なくなって、「ああ、サンダルも脱いでら」とかも気付いてしまって、もう読書どころでないので、いっそのこと気づかないでいられたらどんなによかったろうとおもう。それにしてもなぜこんなに連続で同じ種類の事象が目のまえに立ち現れるのか、と首を傾げる。何かのトラウマなのかしら。

程なく夢を見た。わたしは見知らぬ与太郎と、何の用事か雑然とした、しかしだだっ広い座敷で待ち合わせをして何か喋っていたのだが、給仕のおばさんがやって来て、与太郎の持っているスーパーの袋を指差して「持込みは困ります!」となかなかの剣幕で言った。言われてもヘラヘラしている与太郎の袋には缶ビールや缶酎ハイが入っていた。やっぱりとんだ与太郎だ、とわたしは呆れた。いくら夢とは言え、何が嬉しくてこんな与太郎と待ち合わせなどしなければならないのか。仕事に向かいながらふとこの見たばかりの夢を、振り返るともなく振り返っていると、あの給仕のおばさんに見覚えのあることに気がついた。小柄で、肉付きががっしりとして、短髪にメガネの……あ! あれは学生のとき通ったパン屋のパートのおばさんだ! おばさんがすごい剣幕で「警察呼びますよ!」と言い放ったのは12年まえ、わたしの25歳の誕生日だった。そうか、一連のことはこの12年まえのトラウマだったのか! 電車の中で愕然となる。12年まえ、わたしは服飾専門学校の3年生で、卒業審査へ向けての狂騒の日々の中にいた。朝も昼も夜も、作業は進められなければならず、じぶんの誕生日だということを忘れたわけではなかったろうが、そんなことは関係なしに、昼食もサッといつものパン屋で済ませるよ、と言って淡々と向かったのだが、これが友人たちには計算外であったらしかった。狂騒の日々を共にする友人たちは言わば戦友であり、わたしを祝うためにシャンパンを用意してくれていた。学校内で開けて祝うつもりだったのに(それもどうなのか)、肝心の主役はパン屋に行ってしまったらしいぞ、どうする? やむを得ん、パン屋へ集合だ! と相成って、主役がパン屋の店内ではなく外のテラス席で黙々とパンを食べていたのでこれ幸い、男女数人ゾロゾロ流れ込んでハッピーバースデーの大合唱となってシャンパンの栓もパンと開け放たれた。そこに件のおばさんが乗り込んで来て追い出されたのは言うまでもない話だ。ほんとうに馬鹿なことで、学生乗り、若気の至りとしか言いようがなく申し訳なかったのだが、「警察」というセンセーショナルな言葉には不謹慎ながらちょっと笑ってしまったのもまた事実だ。その日は事件のあった昼と、午後の休憩時間と、学校の終わった夜と、ほぼ同じメンバーに実に3度も誕生日を祝ってもらった。こんなことは人生でも25歳のこの年しかないし、今後もきっとないだろうとおもう。実に騒がしい年だった。

12年を経て気づけば今は、ルールや節度を守らぬ者に顔をしかめる側に回っている。それは至極まっとうな流れではあるが、過去のじぶんたちのことはすっかり忘れ、棚上げしている、とも言える。事実忘れていた。人の立ち位置なんていくらでも揺らぎ、変わり、逆転する。最低限のルールや常識を守ることは必須だが、そこに固執ばかりする人に面白味の少ないのもまた通説、みたいなところもなくはない。じぶんのことを「あ、今わたしつまらない」とおもって与太郎みたいにヘラヘラしたいときもある。ここ数日「もうおしまいだ、絶望だ」なんておもって、おもい詰めて、シクシク泣いていたことがあった。けれどよくよく点検してみると、おしまいどころか何もはじまっていなかった。終わらせたのはじぶんではない、他人の決めた常識やルールだ。ほどほどに、他者に迷惑をかけないていどに、じぶんの気の済むように、肥やしになるように、楽しめるぶぶんは楽しめばいいじゃないか。その辺の節度をギリギリわきまえるくらいの自信は、12年経ったからこそ、ある。じぶんの世界を逆転させるために、じぶんの立ち位置を気軽に変えてみるということをする。

コーヒーショップのお気に入りの席に、今日も先に座っている人がある。いつものあの中年男性だ。色んな時間帯にわたしも行くのに、色んな時間帯にあの人は座っている。普段何をしているひとなのかしら。しばらく時間を置いてもう一度行ってみてもやっぱりまだ座っている。座って、ぼうっとしている。いや、ぼうっとしているというわけでもないのだろう、何か思考を巡らせているのだろう。または行き交う人々を見渡せるあの席で、人間観察でもしているのだろう、とか。そして時に、先にわたしに席を取られて「あいつ、またいるよ。一体何をしている人なのだろう」とため息もつくのだろう。