vol.3、カミング・スーン

 

vol.0から数えて四冊めとなる『善き門外漢』vol.3、テーマは「アウトサイダーの向上心」。

〈アウトサイダー〉は、集団や組織の外部のひと、常識の枠にはまらない独自の思想の持ち主、門外漢、部外者、果ては勝ち目のない馬、などというどこかポジティヴではない響きを持つ言葉で、「わたしにはかんけいがない」とおもっていても、ほんのすこし居場所がズレるだけで、だれもがたちまちアウトサイダーになる、といえる。そして多くのひとがそれを恐れている、とおもう。

ただ、アウトサイダーはじっさいそんなにポジティヴさと遠いものだろうか。アウトサイダーも十人十色とはおもうが、向上心ある眼光鋭いアウトサイダーには、燦然と個であるからこその、個の突端を磨いているからこその独創と発展の可能性がある。わたしはそうしたアウトサイダーをあいしてやまないし、じぶんもそうありたいとおもってしまう。

おおきくページと時間を割いたのは、〈千利休とエリック・ホッファー〉。とつぜん同時に気になりはじめた、国も、生きた時代も、職業も、なにもかもちがう二人を追っていたら、〈アウトサイダー〉という言葉でつながった。沖仲仕の哲学者と呼ばれたエリック・ホッファー(米・1902-1983)にかんしては、ご存知の方なら〈アウトサイダー〉という言葉はシックリくるとおもう。幼少期の失明で正規の教育を受けず、回復するも青年期には天涯孤独となり、季節労働者を経て、港湾労働をしながら思索・著述を続けたのだから。一方の千利休(1522-1591)にかんしては、その名を誰もが知るなかで、名がひとり歩きすらするなかで、いったいどこがアウトサイダーなのか、信長、秀吉と権力者のもとにあって、どちらかといったら〈インサイド〉の人間じゃないか、とおもわれるかもしれない。が、そう一筋縄ではいかない、利休の多面性と独自性に惹きつけられた。まず利休にせまり、秀吉との愛憎にホッファーの言葉を交錯させながら、ホッファーそのひとにせまっていく、そうした展開で27ページを駆けぬけた。

平行して進行していた企画が〈アウトサイダー往復葉書〉。2015年東京芸術大学を卒業時に、卒業制作展買い上げ賞、2016年にはポコラート全国公募展で 鴻池朋子賞を受賞するなど、まさに個の突端を磨き発展しつづけているアーティスト、室井悠輔さんと文通をした。往復はがきを使うこと以外なんのルールもなく、読めても読めなくても、対話になってもならなくても、暗中模索でお互いボールを投げつづけた11往復。はじまってみると修行のような企画で、苦悩の跡もそのままに、塗りつぶされた言葉、文字も意味をなさなくなってゆくような色の氾濫、生活のスキマから生み出された一枚一枚に、みなさんは何をおもうのだろう。当初、わたしが「往復書簡をやろう」といって、便箋3枚にわたった手紙を送ったが、「これではページ数がたいへんなことになる」、「一度の量よりも回数を重ねたほうがよい」というはなしになって、往復はがきを使って仕切り直した。はがきの面積の狭小さには苦戦したが、11往復を終えてたしかに、回数を重ねたことで1枚の大きな絵になったような感覚がある。

ほかには、今回のテーマにぴったりなので『善き門外漢 ビヨンド』に収録した〈出る杭の来た道〉を加筆・修正して再録、箸休めてきな猫ページ〈戸外であそぶ〉、都築響一・語り『圏外編集者』(朝日出版社)の読後感を書いた〈「圏外」って言葉にもっと早く気づけよ読後感想文〉、「手足口病」からの連想を機に逞しくなるとんまな想像力を晒した〈言葉の外観〉、10年来心のどこかに引っかかってきた『阿Q正伝』をもういちど〈心にすんでる阿Qのバカ〉、人で溢れるターミナル駅を楽しむ心持ちを指南した〈ターミナル駅では〉、歩くことでいやおうなくわき上がるあれこれ〈一月、散歩道の詩と死〉を収録。

 

フルカラー56ページ、つまり今までの倍のボリューム、念願の背もつきました。にもかかわらず、価格はたったのプラス¥120の¥1,000(税抜き)におさえました。そのぶん、たくさん売りたいです。たくさんの人に知ってほしいです。

『善き門外漢』vol.3、まもなくです。